自分とは
僕は音楽が狂ったように好きだ。特にロックバンドが好きで、いつもロックのことを考えている。いろんな音楽を好きになりたいから、常に新しい音楽を探しているのだが、もちろんピンとこない音楽も多い。
自分が好きな音楽を見つけられた時はたまらない。のだけど、好きだと思った音楽は、過去にピンとこなかった音楽である確率が非常に高い。
こんな時に僕はいつも思う。前の自分は本当に自分だったのかと。
過去の自分の感性と、いま現在の自分の感性はだいぶ違うことがある。デカルトは『我思う、故に我あり。』と言ったらしいけど、その人決定するのに感性は非常に重要なものであると思うんだ。
この人とは感性が合うから友達になりたいとか、この人とは感性が合わないから、仲良くなれないかも。みたいなことってあるよね?
だから、感性が違う過去の自分は本当に自分なのかなって思うわけ。
過去にはこんな感性だったとか、こんなことを考えていたとか、思い出せなくなっちゃて、自分のはずなのに自分じゃないみたいで悲しくなる。そもそも僕という人間が本当に存在していたのかも分からない。
この世界に変わらないものなんてないはずなのに、自分は変わらないで、そして君はずっと君のままだなんて錯覚してしまっているんだよな。
今の僕を分かってあげられるのは今の僕だけであって、過去の自分は今の自分とは違っている。
その時に感じた感性、感覚、思考を何かしらの形で残しておけたらよかったのだけど、それはあまりにも現実的ではなくて。
僕たちはこの問題といつまでも向き合っていかなくてはならない。
今、好きな人には好きと言って、今、楽しければ笑って、自分の中にあるものを形にして外に出して行く。人間は今しか生きられないのだから、今を精一杯生きて行かなきゃいけない。そんなことは分かっているんだよ、分かっているんだけどね。